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人生を再スタートの決意への重みが伝わる時

こんばんは、ゆめのです。

今日から8月ですね。

今日は私の「人生を再スタートした決意への重み」が伝わるタイミングがいつも意味不明なのでそのことを書こうと思います。

「そんな簡単なすぐに諦めるようなものではない」

これって意外と全然伝わらないんですよね。

リハビリ的にハンドメイドを始めた時もまさか販売を始めるとは・・・と驚かれました。

その後に会社員になると宣言した時に至っては先生も流石に「え?」と驚いていました。

先生の患者様の中でも手帳の申請をする理由が国が障害者雇用として正式に認めるならという経緯ではいないし初めてで聞いたことないとのことでいた。

しかも私に関しては手帳は嫌ですとそれまで全力で拒否していたので。

いざ会社員になってからもいまいち伝わらない日々でした。

そこには「精神障害者のイメージ」があったんでしょうね。

・いじめればメンタル弱いからやめる

・欠点を攻めればやめる

・無視すればやめる

・休んだら戻ってこない

等。

書けるものだけですが。

こんなことでやめるわけないんです。

人生の再スタート前に何回人生に絶望してきたか。

そして何回生死を彷徨ったか。

そして何回人間として女性としても軽視され軽蔑され尊厳の無い扱いを受けてきたか。

正直、私があまり泣かないのは遡れば子どもの頃にも原因が多々あります。

私が泣くとみんなが嬉しそうに笑顔になるから。

何でだろう?

他の子が泣くとみんな顔色を変えてやりすぎたと心配するのに。

先生もにっこりとすごく満足そうでした。

どうしてだろう?

そんなことを考えるうちにおかしくなったのかもしれません。

そんな捻くれた人間ですから、差別的ないじめやいじりくらいで諦めるわけありません。

会社員を辞めた時、本当にただひたすら悔しかったです。

本当に社会に負けたこと、定年までの夢も消え去りました。

でもそこで全て諦めることは無かったです。

会社員を辞めた後も色々と「障害者の壁」ではなく、「精神障害者の壁」にぶち当たり続けました。

でもじゃあ諦めるかといえば諦めませんでした。

生きるか死ぬかになっても結果的に生きるぞと沸々と気力が湧いてくるのは、いつも過去の苦しみを思い出す時です。

過去を振り返るなんて無意味で時間の無駄という方がいます。

今とこれからの未来を生きようという方が圧倒的に多いんです。

それをお仕事にされている方も今はたくさんいますね。

でも、ごめんなさい。

生きているかどうかわからないこれからの未来には希望が持てません。

だからもちろん老後のイメージも全くできません。

どんなおばあちゃんになりたいかという質問にもわかりませんとしか本音では答えることができません。

私には苦しかった過去を思い出したら、生きる、過去の分を取り返す方が余程沸々と気力が湧きます。

私には今はきっとどんなことがあっても生き延びたいし、何かあって自分の人生に戻るぞという気持ちしかありません。

いわゆる「精神障害者のイメージ」とは全然違っていることは自分でもわかっています。

そんなふうに考えらる、振る舞えるわけがないと思われても仕方ありません。

ただ私は間違い無く、統合失調症で精神障害者です。

ですが障害者になった経緯も統合失調症だと確定診断をしてもらえるまでの人生はさらにイメージできないようなものです。

だからこそ伝えられることがあると思うんです。

小さなこどもから年上の方にまで。

「幸せな精神障害者」

今まで断固として「肩書き」をつけないで来ました。

「肩書き」に依存して落ちていく人間や「肩書き」が増えるにつれて初心が消え去る人間を今も見る日々です。

ですが今は単語をくっつけただけですが「幸せな精神障害者」を肩書きにするために生きています。

きっとこれも今の私の言葉では伝わらないと思います。

でもこの決意はさらに重いです。

生きる

というより

生き残る

くらいの戦いの日々ですが8月も楽しみます。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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